なんの実感もないまま迎えた2019年3月31日、高槻RASPBERRY最終日
結局あんまり眠れない夜を過ごして、朝からスタジオに入ってセトリを決めて 出演が決まってからずっと考えてたけどまだ結論が出ていなかった、最後のステージでなにを話したいかということを考えながら
機材車がないから、いつもみたいに大荷物で電車に乗ってラズベリーに向かった
駅からラズに向かう道がボコボコでわたしたちの持ってるゴロゴロが転がしにくいこととか 入口の階段での大荷物がきつくてウワーーンって言ったのもいつも通り
一番手を任されていたわたしたちだけリハがあって セッティング中のおしゃべりもいつもと変わらない、ようでやっぱりふわふわしたような変な気持ちやった
リハを見てくれてる先輩たちの表情も、PAさんたちも、オープンまでの時間も、なんかラズ全体が緊張感があるような感じで めずらしく落ち着かんかった
ラズベリーにとっての大事な大事な日の一番手
わたしたちの一音目で今日がはじまるんやと思ったら ドキドキした、ワクワクした、でもほんとうはちょっと、ちょっとどころか、めちゃくちゃこわかった、今日という日がはじまってしまうこと、最後のステージが終わってしまうこと、わたしたちはいままでこの場所を守って来た人たちに、この場所に出会ってからの5年間に、27年の最後の1日に、恥じないバンドに成長できてるやろうか、伝え切れるやろうか、こわかった
ライブ中のことはあんまり覚えてなくて、でもみんなの顔が見えてた
だいすきでかっこいい先輩たち 同期と呼べるともだち ラズベリーで出会った後輩や高校生のみんな スタッフさんたち ラズベリーでよく会ったお客さん
なんかたぶんうまく言葉にできへんなあと思った いまはここでしか出せないでっかい音を鳴らそうと思った めちゃめちゃ歌ったし、叫んだ
いままでの中でいちばんギターの音も大きかったと思う
憧れでしかなかった先輩たちやだいすきなしもてさん、ステージから見える人たちが笑顔で見てくれてた いっぱいの拳が上がってた ライブが終わってから めっちゃよかったのでバンド名もう一回教えてくださいってステージのほうまで来て話しかけてくれたお姉さんがいた
最後の最後までこんな景色、こんな繋がりをくれる場所がわたしらのホームなんや、
ライブハウスっていう場所のことなにもわかってなくて でもあのステージに立ってみたくて勇気を出した5年前のわたし、まちがってないで そのまま続けてな と思った
最後の1日に後悔が残ることがいちばんこわかったけど わたしたちにできることはやれた気がする、と3人で話した 悔いはないです
ライブが終わって、ああ終わったんや ってなったら急に気が抜けてしまって、わけもわからんままそのあとの先輩たちのライブで笑って泣いてだいすき最高!のうちに1日が終わった
13バンド持ち時間30分のものすごい長丁場、長いようで短いようで、まあ長かったけど、やっぱり短かったかな
「今日ほんまに長いわあ」って言ってるこのままずっと終わらなくていいのになとか考えた
ここからはわたしがあの日考えていたことのいくつか
あいうのこいちゃん先輩が「学校に行かなかった俺にとってはここが教室だった」と言っていた わたしは学校には行ってたけど、もうひとつの教室はこの場所やったなあと思った
ほんとうに大切なことはなにか、この場所でたくさん教えてもらった
高槻音家族にずっと出たくて、でも出られなかったわたしたちにとって ラズベリーの最後の1日にステージに立つバンドとして選んでもらえたことはなによりすごくうれしかった
ほんとうは最終日の音家族出るから全員みにきて!って会いたい人たちにいっぱい言いたかったけど、全バンドシークレットやから言えなくて歯痒かった
でもそんなこと関係なかったな 会いたかった人たちは当たり前のように全員そこにいて そうそう、こういう場所やねん と改めて感じた
いつも事務所の椅子とかフロアで寝てる店長のしもてさんに去年の誕生日にあげた、わたしたちがバンドとして大きくなったらいいソファを買ってあげる券があって、あげたときは「どこに置くねん!」ってしもてさん笑ってたけど、ちゃんと持ってくれてるらしい
はやく使えるようになってくれ!と言われた お任せあれ〜!という気持ち IKEAのいちばんいいソファ買ってあげます、と約束した
話を戻して、
打ち上げではやっとラズでちゃんとお酒を飲んだ、はいいけど飲みすぎた
こればかりは最後の大反省 ごめんなさい
目が覚めたらステージの上で寝てて、あれだけフロアにぎゅうぎゅう詰めでいた人も減ってて さっちゃんにもう朝9時やでって言われて
吐きそうなままなんとか家までたどり着いてまた寝て、起きたら夜やった
ラズ行ったあとはタバコとかいろんなにおいで毎回髪の毛がくさくなるんやけど、起きたらやっぱりくさくて笑ったけど泣けてきた
3月31日は結局、なんの実感もないまま終わってしまって、あしたとかになればわかるかな とか話してたけど、結局一晩明けてもまだやっぱりわかってなくて
用事があってさっちゃんに会いに行ったけど同じかんじらしい、「まだわかってないってわたしらもしかしてあほなんかなあ」って話した どうなんかな あほやと思いますか
でも仕方ないよなあ 当たり前のようにそこにあるものとして5年も関わってしまった
“いつまでも夢を見ている”
“天才にはなれないと気づいたことに 僕ら、気づかないふりをすることを選んだ”
という歌詞を書いたのは18歳のわたし あのころのわたしが、というかいまも変わらずやけど この曲でいう"此処"というのはライブハウスのことで、思い浮かべるのはラズベリーのステージから見た景色
あの場所に出会わなければいまのわたしの持っているもの、バンド 悩み 憧れ 悔しさ 誇り ともだち いろいろあるけど、全部なかったか、別物やったやろうなあと思う
楽屋っていうか通路やし、天井の布はガムテープで補強してあるし、防音扉はちゃんと閉まらへんし開かへんし、フロアもステージもとにかく狭いし、
でも、好きやった
ここがホームでよかった
どこのライブハウスに出るようになっても、帰る場所は絶対にここしかなかった
出会えてよかった
この暗い階段を降りた先で何回心を揺さぶられたやろう
なにがなくなっても、あの場所でもらったものは大切に持っていこうと思っています
わたしたちがバンドを続ける限り、大阪・高槻を誇りを持って名乗らせてください
もちろんラズベリーがなくなったことはバンド人生における大事件で、
ただわたしたちは前に進んでいかないといけないと強く思う ずっと喪失感に囚われているだけのわたしではなにもできないことはわかるので
でもそれは忘れることではなくて、あの場所があったことをわたしたちが証明し続けたい という感覚が近い気がする
そうは言っても時間が経ったらいろんなことを忘れてしまう、それは当たり前
これからきっとたくさん環境も変わる、人も変わる、場所も変わる、わたしも変わる
でも心のどこかではあの場所でもらったものをずっと失くさずにいたい
いまのわたしはそう思う
抱えきれないほどたくさんの大切をもらいました
高槻RASPBERRY、
本当にありがとうございました
心から、愛してます
大阪・高槻 FiSHBORN
前田小春