日記 2024年3月22日〜3月31日

22日

なんの予定もないけどばっちり化粧して外に出る。気になってた近所の路地裏のコーヒー屋さんでコーヒーを買ってみて、公園の芝生でぼーっとしながら音楽を聴いてなんとなく周りを眺めてると、ひとりでもふたりでも集団でも、いろんな人がそれぞれの時間を過ごしてて、わたしもそのうちのなんでもない1人なんやって感覚に不思議と安心する。

 


23日

仕事終わりにボイトレへ。先生のピアノに合わせて声出しをしてるとき、いまわたし疲れたって顔しちゃったなと思った瞬間に、お疲れさま!って先生が手を止めて言ってくれて、やっぱり顔に出てたなあと悔しいような恥ずかしいような気分になる。こういう風に言外で人に気を遣わせるようなコミュニケーションをしてしまうときがあるのは、わたしの子供っぽい部分やなと思う。

 


24日

仕事中にちょっと雑談してて、社長が言葉を選びながら、ただ決まった時間の中でこなすだけになったら意味がないということを伝えてくれようとしてるとわかった。たまたまここ数日、自分はこの仕事で生きていくっていうある種の覚悟を決めて本気で向き合わないとどこにも辿り着かれへんなってことを考えてたタイミングやった。なんの仕事でもそうやし。それで、言われてる意味が前よりもわかったし、仕事ってお金のためだけにあるんじゃなくて、人としていろんな気づきをもらえたり豊かになっていく手段のひとつやなといま心から思える。

元々いまの仕事が楽しくて、自分の興味のあることに関われるうれしさがずっとあるけど、もちろん大変なことも追いついてない部分もある。でも、わたしはこれと決めたものを楽しむ才能は人一倍持ってるはずやから、人生の時間の結構な割合を占めるものを、この先もおもしろがって乗りこなせんわけがないっていう自信もある。これからのわたしに期待。

 

 

 

25日

25歳の誕生日で、親友と城崎温泉カニ旅行。12年も一緒にいていろんなことを共有してきたけど、2人での旅行は初めてやった。行きの特急の窓側の席も、城崎のお店でお酒を飲むとき二つ渡されたコップのうちの可愛いほうも、当たり前みたいにわたしに譲ってくれて、こういうちょっとした優しさやわたしを大切にしてくれる心意気に、どれぐらい助けられてきたんやろうと思う。わたしはぼーっとしてていろいろ気づかんことの方が多いから、同じだけ返せてるか不安になるけど(たぶんそれすらわかられてるけど)、わたしがあげられるものならなんでもあげたいって心から思う。

 


26日

早起きして朝風呂入りに行こって計画はもちろん失敗した。旅館の朝ごはんにはなんとか滑りこんで、チェックアウトしてからも風呂に2回入って、陶芸したり名物を食べたり、城崎を満喫し切って、終電で大阪へ帰る。もう暗い景色の中を走る電車で、心地いい旅の疲れの中でぽつぽつと今日帰ってなにするかとかを話した。

親友としてお互いの全部知ってるようで、やっぱり全部知ってるわけじゃなくて、お互いに見せてないしんどさもあるんやなあと今さら思う。別にそれを全部見せてほしいわけじゃなくて、そういう瞬間があるってことを知ってることが、わたしたちの関係を替え難いものにしてくれるとわかる。

 


27日

旅行の金銭感覚のままスーパーに行って、ここに自分が買われへんもんなんか一個もないんやと思いだした。今日食べたいのを我慢したくなくて、普段98円じゃないと買わん1/4カットの白菜を198円で買った。

 


28日

よく会うだけで話さんし名前も知らん人とすれ違うときに挨拶するか一瞬ためらったら、向こうが当たり前のようにおはようございますって言ってくれて、もちろんわたしも挨拶しようとしてましたって感じに、おはようございますと返す。

 


29日

15時ごろに家を出るとすぐにコートが重たく感じる春の気温やった。地下鉄の駅の階段を降りて改札が見えたところで、このあと用事してたらもう陽が落ちる時間になるのに気づいて、また外に出て一駅先まで歩いてから電車に乗った。

 


30日

近所のスーパーのレジにいる店員さん、特段愛想がいいわけじゃないけどわたしがPayPayで支払いするのとか毎回袋をもらうのとか覚えてていつもスムーズに会計してくれる。今日レジしてもらってる時にポイントカードが財布で行方不明になって、すみません、って謝りながら探してたら、ゆっくりでいいですよー。っていつも通りの真顔で言ってくれた。

 


31日

実家に住んでる両親や兄が、飼ってる猫2匹の写真を家族のライングループにしょっちゅう送りつけてくる。それで各々がその写真に適当にコメントしたり、スタンプを送るだけ。

父が今日、その写真に対してふと送ってきた言葉が、お父さんはこんな風に世界を見てるんやと思うようなことで、普段一家の長としてわたしら家族に見せる部分と見せへん部分があるよなと気づく。

猫がいることで不意に家族が繋がるときがあって、全然懐いてないやつらやけど、2匹がおってくれて安心やなあと思う。