日記 2024年3月14日〜3月21日

 

14日

自分の中で悲しいこととかしんどい気持ちを抱えながら必死で頑張ってた記憶がある街に久しぶりに行くと、その時の頑張りが今の暮らしにちゃんと繋がってて、いま毎日穏やかな気持ちで過ごせてることを嬉しく思う。その当時に自分を励ますために聴いてた曲を再生しながら、その当時と同じ道を歩くと、なんか全然違って聴こえた。それで気持ちが解けるような、あの頃求めてた未来って今やなと思う。

 

 

 

15日

気温がやっと15℃を超えたから、公園でぼーっとするのを解禁。予定のない休みの日は用もなく公園に向かいたくなるけど、春の日はやっぱり一番気持ちいい。

芝生に座って、なんとなく再生した家主の「部会」が今日のテーマソングになった。『例えば僕らが意味のない生き物でも 関係ないのさ』 のフレーズで、小さいことに執着して空っぽになりかけた心が何回助けられてきたやろうなと思い返す。生きてる間の全部に意味があるってことなんかないけど、意味のない時間を過ごすことを無駄とは思わんための豪胆さをくれる。

 

 

 

16日

仕事の出張で、電車を2本乗り継いで、降りたことのない阪急の駅でお昼過ぎに集合。吹いてくる風がめちゃくちゃ春の温度やし土曜日のにおいがした。何日か前に自分が原因の失敗があったのと、ここ最近曇りが続いてたのもあってしばらく気持ちがどんよりしてたけど、休日の太陽の光を浴びたら、わたしはわたしの今日やることをやろうと思った。

仕事が終わった夜にも、自転車に乗るとちょうど風が涼しいぐらいの気温ですぐ帰るにはもったいない気がして、仕事帰りにそんなことしたことないのに、遠いほうのスーパーまで走った。

 


17日

出勤前にペットボトルの麦茶を買って、それを飲み切ってウォーターサーバーの水を入れたつもりやったのに、若干残ってたらしい。ペットボトルいっぱいのうっすら茶色に濁った水ができあがっちゃって、でも味もほぼ水やから捨てるほどでもないし、でもなんか見た目が絶妙に汚い。他の人に水たまりの上澄みみたいな水飲んでると思われたくなくて、そのあと一日中こそこそ水分補給しなあかんかった。

 


18日

なんもない日に限って化粧うまくいくなっていつも悔しがってたけど、たぶん単純にめちゃめちゃ時間かけてるからってだけやと今更気づいた。

 


19日

ずっと大好きなバンドを久しぶりに見に心斎橋へ。わたしにとって、自分が自分として生きていくときに、アホでしょーもない一面も、強くてかっこいい瞬間もあるってことを、ありのまま包んでくれる歌をずっと歌ってくれてる存在。

正直そのバンドと出会ったころは、自分はこの歌をほんまの意味でわかってるんか、わかったようなつもりで良いと思ってるんじゃないかみたいな、ある種の自分の気持ちを斜めから見るような目線があったように思う。

ただ、いま自分がちょっと捻くれてることを受け入れられるようになって、やっとこういう人間讃歌らしい歌をただ素直に、わたしはわたしの思うように心を動かしていいんやって受け止められるようになった気がする。

 


20日

朝に出勤して、職場に入荷して飾られたばっかりの絵をいくつか見る。白い壁際のガラスの花瓶に暖色の花が何本か、そこに画面外からの自然光っぽい柔らかい光が当たってるだけのシンプルな静物画に目が止まる。見た瞬間に、なにか思い出せそうで思い出されへん懐かしい記憶が心で動いて、しばらく立ち止まってその絵を見てた。その景色を知ってるってわけじゃないはずやのに、思い返すとじわっとあったかくなるような柔らかい思い出をなぞるときの、あの気持ちに似てた。飾るならああいう絵がほしい。

 


21日

深く関わらないといけない目上の人に対しては変に気を遣ったり自分を隠して話すより、その人を信じて、素直に自分の気持ちを自分の言葉で話すほうが、ちゃんと意味のあるコミュニケーションになるんやなと気づく。あと、組織や集団の中で、自分が責任を負う部分を持つことは怖いけど、でもそれこそが本質的にその集団に参加することやって事実にも。どっちに対しても、自分のために、ビビりたくない。