死や別れを経験することと、わたしが生きていくこと

 

 

2月16日の朝起きてLINEを見ると、わたしがお世話になった人が亡くなったという連絡が入っていて、あ、そっかあと思い、いつも通り出勤する電車で両親とお通夜に伺う旨を返信した

 

その人というのはわたしが去年まで1年半くらい働いてた飲み屋のマスターで、

その飲み屋というのはわたしの母が30年前、大学生のころに働いてて、お客さんとして来てた父と出会った場所

大学を卒業したらフリーターになることが決まっていたわたしが、時給良い仕事ないかなあーと思って探していたら、たまたまそこがスタッフを募集していて、

ここってお母さんのとこ?となり、おもしろいので応募してみようと思ったのが働き出したきっかけ

 

いまはマスターの娘さんがママやねんけど、店にアルバイトの面接に行ってママと話してるとき、母が昔ここで働かせてもらっていて、ということを話したら、〇〇ちゃん(母)の娘か!採用〜!!とキッチンのほうから顔出して叫んでくれたのを覚えてる

で、ああこの人が例の!とちょっと感動したのも

 

まあそういうわけで、マスターは、ここがなかったらわたしは生まれてなかったな、という場所を作った人 

 

当時の両親を知ってるお客さんと出会って一緒に飲ませてもらったり、そこでのうれしい思い出はいろいろあるんやけど、まあそれは一旦それとして

 

 

もう結構なおじいちゃんで、デカい病気しては復活して店に帰ってくるっていうのを何回か繰り返してて、わたしの出勤2日目には血吐いて救急車で運ばれて行ったこともあったけど、数週間後には戻ってきて、カウンターで炭酸水飲みながら、小春ちゃん、これちょっとだけ角ついでよ!もうちょい!とかやってたマスター

マスターは不死身やからなあというのがみんなの総意やったけど、去年わたしが店を辞めるちょっと前からここ最近まではいよいよずっと病院にいて、調子良くないみたい、という話だけきいてた状態からの、昨日という感じ

 

 

 

そこでのバイトも辞めてしばらくやったから昨日はそもそもマスターのこと思い出したのも正直ひさしぶりやったし、調子悪かったのも知ってたから、なんとなく、そっかあ、そうやんなあという感じで普通に働いて

仕事終わってからはなんとなく帰る気にならんくて、友達が会ってくれたのでいつもの如く内容も覚えてないような話して、しっかり酔っ払ってかばんをどっかの店に置き忘れてきたぐらい あんまり実感もなかった

いま思うと、こういうときに、帰って風呂入って寝ろ!と言ってくれる友達はありがたかった気がする

 

 

で、今日、出勤して、ちょっとこのあとお通夜に行くことになって、というのを職場の人に伝えたときに、大丈夫?と訊かれたんやけど

あ、全然大丈夫です、って自分で答えて、答えたけど、え、わたし大丈夫なん?と思って急にちょっと動揺してしまった

 

 

 

思えば人の死を経験するのは人生で3回目で、初めては小学校低学年のころの父方の祖母、その次は19歳のとき父方の祖父で、そのどっちもやっぱりよくわからんままいつのまにか過去になっていった気がする あと昔飼ってたうさぎが死んだときも、急やったのもあって、同じ感じで終わっちゃったな

 

 

もう24の年にもなると、ある程度のことは自分の中で受け入れたり、折り合いをつけていくやり方が身についてて、例えば友人関係、例えば恋愛や仕事、自分の生きてる社会やコミュニティについてとか、大抵のことは自分の中で収まるべきところに収まってる感覚がある

 

ただまあこればっかりは、経験の問題か、年齢の問題か、わからんけど、死に対して向き合うための心の土壌が全然育ってないかもと思った

 

 

 

 

 

と、ここまで書いてから、お通夜に行ってきた

もうここからはいままでの話はおいといて、心の記録のための日記です

 

席も後ろのほうやったし、お焼香のときも棺がちょっと遠くて顔が見えんかったけど、全部が終わって、お顔見てあげてください、ってタイミングで父と母と一緒に顔をのぞいたときに、なんていう気持ちかいまもまだわからんけど、3人でめっちゃ泣いてしまった

この人がいなかったらそもそもわたしは今こうやって生きて、いろんな人に出会って、うれしくなったり悲しくなったりすることもなかったと思うと、親よりも親みたいな、なんかそんな感じで、マスターありがとうしか出てこやんかった

隣で泣いてる父と母を見て、2人にとってもいまの家族があるのはこの人のおかげなんやなあと思った

 

 

会場を出たあと、3人で居酒屋に入って、献杯やなあってお酒飲んで、いろんな話をきいて、話してきた

当時まだ20そこそこやった母に父を近づけたらまずい!って、最初の1年ぐらいはマスターが父から母をめっちゃ守ってた話とか

マスターはめちゃくちゃおいしいカレー作るんやけど、これ隠し味でコーヒー入ってるやろ!って父が問い詰めても、いやあ〜まあ時間かけて煮込んでてさあ〜とか言ってはぐらかして、全然教えてくれんかった話、

わたしには、小春はいい名前やねーと言って、出勤して会うたびに、村田英雄の王将って曲の「愚痴も言わずに女房の小春〜♪」ってところをいつも歌ってきたこと、それちゃんとしたやつ聴きたい!って言ったら店のカラオケで一回歌ってくれたこととか

 

父なんかはもう40年来の付き合いってのもあって、知らん話もいっぱいあった

 

 

 

居酒屋の帰りがたまたまあんまり通ったことない道で、そしたら道端にお地蔵様がいて、これマスターに顔似てない?いま降りてきてるで!って3人で話しながら、お賽銭いれて、お線香焚いて、マスターあっちでも元気にのみやー!ありがとうねーとお祈りした

 

もう会えへんのはどうやってもさみしいけど、こうやって思い出して、話して、大好きやなあっていっぱい思って、この人にもらったもの、私の場合は辿っていくともう自分の命になってくるんやけど、それを大事に大事にして磨いていくことしかないんやなあと思う

言葉にしたら月並みやけど、いまからわたしができることと言ったらほんまに、これしかない

さっきまでわからんと思ってた、死とか、別れに対する向き合い方があるとしたら、いまのわたしの答えはたぶんこれや

悲しいとか、さみしいもいいけど、絶対に生き延びようと思った 

 

 

いまのわたしといえば、

自分の人生のことすごくおもしろいと思ってて、自分のこの先にめっちゃ希望を持ってる

仕事も、音楽や詩を作るのもたのしいし、恋愛も、友達や人と会うのも、季節を感じるのも、いろんなことで悩むのも、終わりも始まりも、全部わたしの生き様になるんやと思って、うれしいなあと思える時間が最近は長くなってる

漠然と、生きることが好きやという感覚を持つ瞬間が増えた

 

 

いま、特別な人との別れがあった今日の日に、素直に、より強くそう思い直せること、とっても誇らしく思うし、この気持ちをわかったから、本当の意味で、大丈夫と言える気がする

この心の感じのままで!めちゃくちゃ生き延びます 

 

 

マスター見とってやー