朝起きて、やっぱり一番初めに感じたのは、ついにこの日を迎えてしまった、という気持ちやったように思う
2022年4月10日日曜日、わたしが9年間続けてきたFiSHBORNというバンドが解散した
その時から約1週間が過ぎて、少し冷静に思い返せるような気がするので、その日についてと、終わりについて、文章を書いてみようと思う
その日は本当に珍しく、どんなに重要な予定の前でもしっかり眠れるわたしが夜中に3回くらい目が覚めて、そしてもっと珍しいことに、どんなに重要な予定の前でもギリギリまで寝て急いで家を飛び出すわたしが、家を出る4時間くらい前にはしっかり起きて準備を始めた
朝ご飯を食べて、洗い物をして、衣装のTシャツにアイロンをかけて、会場BGMを選んで、入場特典のポストカードに一枚ずつサインを書いて、家から持っていく物販をまとめて、最後のライブのセットリストを見ながらどんなことを話すか想像して、少しだけギターを弾いて、化粧をして、家を出た
14時頃に2ndLINEに入りして、先に着いていたメンバーの2人がいて、まだ配信の準備や会場のセッティングをしていただいてる途中のいつものスタッフのみなさんの顔を見て、今日の流れや他愛もない話をして、リハをして、いつも通りのようでどこか張り詰めてるような感じ、卒業式の日の朝礼前のあの心持ちで過ごした
どんな日になるかな、緊張するかな、するやろうなあと思いながら行ったけれど、蓋を開けてみれば当日は緊張する間もないほど忙しくて、予想はしていたけれどそれ以上に、本当に、あっという間にライブも一日も終わった
なにせラストライブである前にはじめてのワンマンライブ、何十本何百本とライブはやってきたけれど、自分達もいまいち当日のタイム感にも心の準備の仕方にも慣れていなくて、なにか落ち着いて作りあげるというよりも、自分達のそのままの身体でステージに飛び出した感覚
でもきっと私たちのFiSHBORNというバンドの終着点、最後のライブに臨む瞬間の心持ちとしては、その感覚が一番相応しかったように思う
ライブでできる全17曲、アンコールを含めると全部で19曲、私たちがライブでできる曲のすべて、すなわちわたしたちの今と今までのすべてを詰め込んだ約1時間30分
とにかく、自ら自分達の歴史を終わらせることを決めた私たちが、このバンドを、今日自分達の手で完成させる、この場所に自分達が生きて感じてきたすべてを置いていくということだけをたぶん頭では考えていて、その上で心はどこまでも穏やかなようで、燃えているようで、でもなによりもこの場所でこの3人で音楽を鳴らせる幸せでいっぱいやった
その日のライブの良し悪しってなんとなく自分でわかる、というか決められるもので、でもこの日に関してはわたし自身、ライブ後に袖に戻ってすぐにめっちゃ良いライブやった!とは思わなくて、ああ、今日ここにわたしたちがFiSHBORNと名乗って生きてきた時間のすべてがあったな、とだけ思った
いま思うと、演奏や言葉やサウンドや、いろいろな要素を含んだうえで所謂良いライブというものがあるとは思うけど、ただそこにいるわたしたちのそのままの音と言葉を以って、そういう尺度を自分の中で超越する瞬間を経験したというのは、わたしたちがこれまでに求め続けていたことへの答えをひとつもらえたような気がした
その上で、人生で一番良いライブやったと思えています 幸せなことや
最後の日を含む5本のラストツアー
「WE HAVE EVERYTHING and WE BE ANYTHING」
このタイトルはラストシングルの最後の一曲『おとなになったら』という曲の最後のフレーズから来ていて、このフレーズ、ひいてはこの曲は、わたしたちが音楽を鳴らしてきた中で見つけた、これもひとつの答えやと思っています
というより、わたしがこの歌詞と曲を書いたとき、3人でアレンジをして完成させたとき、レコーディングをしたとき、この言葉は自分の中ではまだ祈りでしかなくて、でもこのツアーの5日間を経験して、これがわたしたちにとっての紛れもない事実になり、約束になり、答えに変わったと感じてる
ずっと漠然と、このままではいけない、もっともっとなにか手に入れないといけないと思い続けていたし、もちろんそれはわたしたちの大きな原動力のうちのひとつでもあったけれど、
でも振り返ってみると、わたしが音楽というものに出会って、命まで救われたと本気で思ったような瞬間を超えて続けてきたこの営みが、ずっと変わらず自分の手の中にあって、わたしが愛やと感じるものがそこで数え切れないほどたくさん生まれてきたこと、それだけで、生き抜くために本当に大切なものはずっと持っていたことを確信した
こうしてバンドをやってきて出会う人の中にはたまにこの人にはマジで音楽しかないんや、って人種がいるもので、
わたしには音楽以外に愛するものも、音楽以外のことに捉われる時間もたくさんあって、だからわたしはそういう風に見える彼らにある種の憧れと劣等感を抱いてたような部分もあったけど、なんかそうじゃないよな
わたしは、音を鳴らす人生を選んだこと、だから本当に大切なものをたくさん持って生きて来られたと、いま素直に言えることを心から誇りに思っています
最後の日にもそういうことを話したように思うけど、バンドを続けて出会った中で心から感謝している人がたくさんいて、それ自体が自分にとっては幸せなことです これだけ出会ってきたんやなと
わたしたちの音楽を愛してくれたすべての人たち、友達、音楽をやっている仲間、ずっと心の一番近くにいてくれた高槻の人たち、わたしたちのレーベルLukie Wavesのみなさん、2ndLINEのみなさん、などなど、伝えきれないです 自分達がこの選択をしたことで伝えきれないことがあるのが悔しいのも正直なところ
本当にすみません。でもそれよりも、本当にありがとうございます。
そしてなによりも誰よりも、ここまで一緒にやってきたメンバーには本当に感謝してる
9年間、前のバンドを含めたら12年間、お互いがはじめて楽器を持った瞬間から一度も離れることなく、わたしの隣でベースを弾き続けてくれたさっちゃん、いつも心配ばっかりかけてごめんね、さっちゃんがいてくれることがわたしを強くしてくれたし、優しくしてくれた わたしの音楽を誰よりも愛してくれてありがとう
バンドの芯を誰よりも守ってくれて、誰よりもバンドのために力を尽くして、信じて、ドラムを叩いてくれたかほすけ、彼女がいなければ今のFiSHBORNは絶対になかったしわたしもいなかった!素直なところも頑固なところも、信じた道を絶対に見失わないところも、わたしにはずっと眩しかった、かほすけの信じたものの中にこのバンドがあることが誇らしいよ、ありがとう
ひとまず4月10日にわたしの、わたしたちの人生の中心を占めていたものの幕引きを経験して、すっかり心に穴が開いた気分、となるかと思いきや、相変わらず毎日のスケジュールを必死でやり過ごしています まあそうなるように予定をたくさん入れたというのもある
これだけ当たり前にあったものが暮らしから抜け落ちていること、1週間そこらでは感じられないものがあるのやと思います こうして文章を書くまでも日が空いてしまった
ただやっぱり、ライブハウスに行ってライブを見たり、いろんなバンドの良いお知らせや良い音楽を聴くときに、その刺激を還元する場所がないこと、変わっていくであろうことに少しだけ心がざらっとする感じ
その度にそれを受け止めて、わたしは自分の人生を自分で決めるという小さい決意
そういうものに気づき始めてる
わたしたち、が減って、わたし、を使うことが増えていくことも、どれだけ寂しくなる瞬間がくるかはわからないけど、
でもわたしがわたしであるために音を鳴らしてきた時間は、わたしのこれからをも守ってくれる気がしています
FiSHBORNの前田小春として生きてきた9年間は、わたしのすべてであり、人生の宝物のような時間です
わたし、前田小春という人間が作りあげられた期間の、15の頃から今までをそうして過ごしてきたわけやから、きっと死ぬまで、自分史の中でもひとつの特別な部分
どんなお別れの後でもまだまだ平気で続いていく毎日、これからのこと、というのは音楽のことも人生のことも、まだなんにも決まってないけれど、これからなにを選んで、どんな時間を過ごすことになったとしても、こうして過ごしてきた9年間を抱きしめて生きていくのだと思います なによりそれが形になって残ってる!うれしいなあ
FiSHBORNと出会って、愛してくれた全ての人へ、本当にありがとうございました。
最後に願うことがあるとすれば、これからもわたしたちの作ってきた音楽がどこかの誰かの生活の中にあればいいなと思います。
いつかどこかで会えることを楽しみに、わたしなりにしっかり生きてみます。そのときまで元気で、幸せでいます!ではまた。
前田小春