いくつもの夜を抜けてきたわたしたちについて

本当に久しぶりにブログを書いている

 

というのも、

『夜を抜けて』という曲のMVが公開されたので、せっかくやからその曲について少し書こうかなあと 特に思い入れのある曲やし

曲のことを説明するのって種明かしをするみたいで無粋かなとも思うけど、これでもっと深くいろいろ感じてもらえるならいいかな、と

 

 

 

この曲、簡潔に言えば

いまのわたしそのもの、いまのわたしたちそのもの やと思う

 

 

歌詞を読んでもらえばわかりやすいかと思うけど、"最高速度で走って行く"のフレーズは、ここ数ヶ月の制作にライブにと常にバンドを自分の軸に据えた生活の中で自然と出てきたものやなあと

願っていたことが叶う経験も何度かあって、日常やのに非日常の中にいるような、現実やのに想像の中にいるような

 

ミュージックビデオの映像も、等身大のわたしたちを出したくて、1ヶ月近くに渡ってライブやレコーディングの時に撮影に入ってもらって、オフショットもたくさん使って作ってもらった

 

 

 

 

でも実は伝えたいことはそれだけじゃなくて、どちらかと言えばわたしは、

わたしたちは常に音楽と共に生きてきた ということを歌にしたいな、と思ってこの曲を書いた

 

 

思い返せば

はじめて音楽に触れたのはいつだったか、

その日からわたしの人生の中では、

うれしい瞬間はもっとうれしく、悲しいときには寄り添って、情けない夜は背中を押して、感傷的な気持ちは包み込んでくれるような、

そういう音楽が常に鳴っていたように思う

 

 

 

 

愛されたいと願って泣きじゃくりながら越えた夜のかけらで切った指先に残った傷跡を握りしめて 今日も息をしてる

 

 

という歌詞を書いたんやけど

 

なるべく優しく生きてるつもりでも、

たくさん傷ついて、傷つけてしまうものやなあと

 

逃げ出したくなるような夜を何度も抜けて、その夜のかけらでまた傷がついて、それでも今日こうやって生きているわたしたちは、何回音楽に救われて来たんやろうなあ

 

 

この曲のYouTubeのコメント欄に、

『この曲を聴いてなんとか生きてみよう』

という言葉を見つけたとき、

そうやねん、そう思えるわたしたちでよかったよな、形のないものを愛して、自分の中で宝物みたいに大切に持っていられるわたしたちで本当によかったよ、と思った 

 

 

この曲がだれかのそういう存在になれること、わたしにとってこれ以上のことはないです 

 

 

 

自分自身のこと、愛せるならそれに越したことはないけど、でも無理な肯定も否定もなくていいとわたしは思っていて、

寄り添ってくれるものが1つでもあれば、ほんの少しやけど自分の過ごす日々のことを愛しく思える気がするねん

 

いつかは終わりが来ることは知っていても、わたしが鳴らしたテレキャスターの一音が、わたしだけじゃなく、誰かの傷跡が痛む夜も、死にたい夜さえ一緒に追い越してくれるように祈って、この曲を送り出そうと思う

 

 

https://youtu.be/4G6OHhJXWLk

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愛される曲になりますように!