日記 2023年8月11日〜8月19日

 

11日

最近のいちばんお気に入りのカフェでオープンサンドを食べる。イチジクとサラミ、カマンベールチーズがいっぱい載ったやつ。このあいだ初めて同じものを食べたとき、もうチーズは食べ切ったなと思ったらイチジクの下からもうひとつ出てきたのはうれしい驚きやった。今日も、おおかた食べ終わったころ、もしやこの膨らみは、とサラミをめくるとやっぱりもうひとかけ出てきた。

 


13日

昼休憩に弁当を食べてから、左下、奥から2番目の歯のど真ん中にずっとなにかがいる。たぶん中華風の炒め物に入ってたナスのたね。歯ブラシにも、いらっしゃいませーの合間やお客さんがわたしに背中を向けている一瞬になんとか取ろうとする舌の圧にも耐え続けてもう17時前。ついでにコーヒーの飲みすぎで頭もグラグラする。体質的にたぶんカフェインあんまり良くなくて、でも好きやから、いつも調子を悪くしながらブラックコーヒーを飲む。

これで今日うちに帰るまでにふらっとなって車に轢かれたりとかして、死んだときのままの姿で幽霊になったら、ずっとこのままうっすら奥歯を舌先でほじり続けることになる

 


15日

台風がきて、職場が休みになった。わたしはもともと休みをもらっている日やったのでなにも変わりはないけど、なんとなく損した気分になる。最寄りのスーパーで2年間ずっと変わらず39円やったもやしをいつも通りに買って、次の日に野菜売り場を通ったら29円になってたときも似たような気持ちがした。

 


16日

月の半分くらいが休みの仕事について時間に余裕ができて以来、ぼーっとする瞬間のぼーっとの深さが違う。休みのたびに予定を詰め込んでいた頃からすると、その日の予定をなにも決めずにちょっと化粧をして、ふらっと外に出て適当な場所で本を読むなんていう過ごし方は考えられんかった。

8月の夏真っ盛りの公園でも日陰でじっとしていたら案外気持ちよく過ごせることに気づいた夕方なんかは、両方の頬やサンダル履きの足の甲まで虫刺されだらけになった帰り道もちょっとたのしく思えたりする。

 


17日

弁当にオムライスを作って持ってきた。今朝は時間がなかったのと単にめんどくさかったので、ケチャップライスの具は玉ねぎだけ。昼の休憩で食べたとき、グリーンピースとか入ってたらいいのになと思った。特に好き嫌いがあったわけではないけど、子どものときはグリーンピースはなくていいなと思ってたし、別にいまもそんなに好きとかでもないのに

 


18日

仕事で、山の上の古い大きいお家の美術品整理の手伝いに行った。亡くなった和歌山のおじいちゃんの家とにおいが似てた。陶器や置物やグラス、絵画や掛け軸なんかを段ボール数十箱に詰めて、でかいハイエースにぎゅうぎゅうになりながら会社の事務所に持って帰る。

社長が持って帰ったものの仕分けをするのを手伝って、良いものにも、ほとんど値段がつかないものにも、とにかくたくさん触る。「作品」と呼ばれるいろんなものにそうやって自分の手で実際にさわれる、それがわたしが食べていくための仕事になるって、無職になって途方に暮れてた5月には到底信じられんかった。美術の業界に入った。帰りの地下道でちょっと走った。

 


19日

大学時代の親友、というか、悪友と呼ぶほうが感覚的には近い、最高の友達が東京から帰ってきた。会って話すのはたぶん1年以上ぶり。その友達とわたし、共通の先輩たち含め6人で新大阪の居酒屋で昼過ぎに落ち合う。ひさしぶりに帰ってきたから、というのを差し引いても、話し方なのか、話の組み立て方なのか、ちょっとした話がやっぱりおもしろい。もの静かな会社の後輩と飲みに行ったときの立ち回り方に苦戦しつつも成し遂げた話に相槌を打つのも忘れて、仕草をじっと見ていたことに気付いて、あ、わたしこの子のことほんまに大好きなんやあとじわっとわかった。

酔って眠くなってきたその子がマイクロスリープしていい?って言った瞬間に、マイクロスリープしていい?をオッケーしたら10回中9回は二度と起きんこと、どこでも寝れて、休み時間にキャンパスのベンチで爆睡してるところを遭遇した友達みんなに写真を撮られてたこと、たまたま大学で会って、今日さ流しそうめんしたくない?ってお互いの夕方の授業をサボってチャリンコ2ケツでその子の地元を走ったこと、で結局流しそうめんせんかったこととか、大学時代の一緒に過ごした時間のかけらが一気に蘇ってきて、それめっちゃひさびさに聞いたわ!って笑いながらちょっとだけ涙が出た。

東京の大きい会社でバリバリ働いてる彼女の話にはたまにわたしの知らん単語もあったりして、わたしの知らんところにちゃんと彼女の日常があるのがうれしくて、かっこよかった。ほなまあまた会えるやろ!って改札へ入っていく背中を見送って、彼女への大好きや信頼してるの気持ちは、憧れにも近いんかもしれんと思った。また会おうね

 

 

無職、就活、中華、音楽

 

 

大学を卒業以来いちばん長く働いていた職場を4月末に離れることになって、これがまた急に決まったことやったのでまったく次の仕事がない状態やったけど、持ち前の向こう見ず具合とどうとでもなる精神で、5月から無職になってみた

 

なんのコミュニティにも所属してない状態はこの先なかなか体験できんやろなと思い一回やってみたくて、ゴールデンウィークは仕事を探すでもなくただただぼんやりする時間にしてみたけど、無職を楽しむのにはかなり才能がいることがわかった

 

詩や歌でものんびり書いて休もうというつもりでやってみたけど、漠然と自分の行く末を考えて珍しく朝まで起きてしまったりして、その不安感の一番大きい原因はやっぱりどうやって飯を食うための金を稼いで行くかということで、アウトローぶっても結局わたしは資本主義の奴隷に過ぎん…みたいな落ち込み方をして気持ちがだめになってしまい、特になにを生み出すでもなく、精神的にも1週間でギブやった

 

わたしは暮らしに適度な張り合いがないと本来楽しいことも楽しみきれないとわかって、しょっぱいもんと甘いもんはやっぱ交互に食べるんが一番うまいという定説を思い出した5月上旬やった

 

 

 

 

いつまでもそうしてるわけにもいかんので、飲食のバイトを渡り歩きながら初めて就活というのをやってみてるけど、これを世の中の大半の人間が乗り越えたと思うとほんまに泣けてくるほど、めんどくさい

わたしの一番苦手な、準備という行程が大切すぎるところが難しいんやと思う 準備するものが多すぎる

 

一発気合い入れて履歴書と職務経歴書を作ってとりあえず何社か応募してみたら、面接に進んだ会社がひとつあったので、先週の頭に大学の入学式以来のスーツを着て梅田の某高層オフィスビルに突撃してきた

就活の面接自体が人生で初めてやったので爆裂緊張するかと思いきや、まあ普通にしてて落ちるんやったらそもそも合ってないんやろという開き直りと、これまた持ち前のすべてをおもろがる才能で、オフィスビルで面接を受けるわたくし、ええやん…とか思っていつも通りにしゃべりまくってしまい、出されたお茶がジャスミン茶やったことに感動したり、生まれて初めて「御社」と人前で発音したことにニヤついてたりしたら終わった

 

まあ全然落ちてんけど、わたしの記憶が正しければ「めっちゃ」、「ていう感じで」、「ほんまに」あたりは残念ながら確実に反射で言ってしまってたので、内容以前にそらそうやろなという感じで、数日後にちょっと良いレストランに行ったときの接客してくれたおばさまの口調をきくと、言葉づかいはもちろんやねんけど、なんというか、大人のしゃべり方というのがあるなと気づいて、これはでかい発見やった

 

大人になるということにはいろんな種類の階段があって、そのうちのひとつにその場に相応しいふるまいというのがあるとわかったけど、じゃあ自分がそういうオフィスビルの高層階に相応しくなりたいか、またはそうなってる未来が見えるかというと、やっぱり全然そんなことないかも

 

こればっかりは職種によるんやろうけど、これも肌で感じてひとつわかったことやったので、よかった 

話には聞いてたけど、やりたい仕事を見つけるんってむずかしい

これまでの人生でいちばん、人生に向き合ってる体感がある

 

 

正直に書くと、根がすごいポジティブというのもあるけど、今までにまだ大きい失敗をしたりめちゃくちゃに頭を打ったことがないと感じてて、客観的に見るとザ・世間知らずという節がわたしにはある

ただそういうわけで自分への信用とまあわたしの人生がうまくいかんわけがないという気持ちがあるので、仕事を探す動きを始めてからは、いま仕事がないということは無限の可能性があって、わたしってなんにでもなれるんやなあと思ってしまったりして、良くも悪くもあんまり焦ってない

これで自分の中で納得のいく自分像でいられる職にありつけんかったらいよいよプライドだけ高い人間になって心がねじれてしまう気がして、そこだけはまずいなと思う

楽しみつつも悩みながら、就職活動は続く…

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで就活の合間の1日限定のアルバイトのつもりで行った中華屋が深刻な人手不足、かつありがたいことにそこの人たちにめちゃくちゃ気に入られてしまったこともあり、仕事が見つかるまでという条件付きでその店で働かせてもらってる 

 

中華屋の仕事は、めちゃくちゃ疲れるけど楽しい

なにせフロアがとにかく広くて、100人単位の集まりができたりするので、まあこれが歩く歩く

300人以上での大宴会がある日なんかは円卓と円卓の間を2時間歩き回って、デッカい伊勢エビやらフカヒレのスープやら酢豚やらの大皿を運んだり酒を作って持って行ったり、1回の出勤でも平均で1万5千歩ぐらいは歩いてる

まあそうやって忙しくしてるとだんだん中国4000年の歴史、炎の中華料理とかいう言葉が浮かんできて、そうなったらいつも頭の中では女子十二楽坊の"Freedom"が無限ループしてくるので、気合いが入る

 

‎女子十二楽坊の"Freedom (Live)"をApple Musicで

 

めっちゃ懐かしいし、帰りに無性に聴きたくなって聴いてしまうことまあまあある

 

 

 

店は働いてる人の7割くらいが中国の人で、リーさんウさんチンさんソウさんガイくんとか、名前覚えるんがまず大変やねんけど、中国語の単語とか文化とかいろいろ教えてもらえる 

仕事の合間にパントリーでまかないのご飯を食べていいというシステムがあるので、一緒になった人たちとおしゃべりしながら、残り物の食材でできた名前のついてない中華味のスープや炒め物を食べる時間が毎回あるんやけど、

自分にとっての新しいコミュニティに溶け込んでいく感覚を一番感じる時間で、人に受け入れられるというのはいつでもうれしいことやなと思う

 

就活してても感じることやけど、ここ数年である種の図太さを手に入れたことに気付かされてて、開かれたところには変な遠慮はせずに飛び込んでいくこと、たまにはあんまり開いてないところにも無理やり突っ込んでいくことで得られるものがあったりして、この図太さは自分の生存戦略のひとつになっていく気がする

 

 

 

 

 

 

 

バンドを辞めてから余計に感じたことで、「作りたい」の気持ちはわたしの永遠のテーマで、音楽やなにやらとしてたんやけど、なかなか限界まで忙しくしてるとそれはそれで友達のだれとも会わず何にも触れず心も震えず、帰って風呂入って寝るだけの日が増えてくる

そうなってくるといよいよわたしはなにかを生み出す人間でもなければ詩人でもない、ただの絞りカスや…という気持ちでこの2週間くらいも過ごしてたんやけど、今日はひさしぶりになんにもない休みで、ひとりで街に繰り出してお気に入りの店で飲んだ

 

帰り道にふと思いついて、フィッシュボーンのころに書いたけど音源にはならなかった曲たちを聴いてみて、酔っぱらってるのも相まって、こんなに優しい言葉や美しい言葉を書ける人間が不幸になるわけがない、なにも持ってないわけがないと素直に思えて、自分の感じたことを形にする力をちょっとだけ取り戻した感じがした

 

そういうわけで、手始めにひさしぶりになにか文字を書こうと思って、5月の日記を書いた

脈絡もないけど、最近のいろいろ  自分が掴もうとせんかったせいで取りこぼしたこともいろいろある 

日記や文章ももうちょい短いやつをちょくちょく書くといいかもしれん

 

 

明日からもこの夏に向けて、自分史上最高の身体にするために筋トレをやりつつ、自分史上最高のわたしになるために仕事のことも創作のこともまた少しずつ前に進んで行こうと思う

形になりそうなことがいっぱいある、この良い流れを止めないように、やってみる

 

 

 

明日は初めてのサイクリングに行くので、そろそろ寝る

世の中にはわたしの知らん遊びがまだまだあると思うとうれしい

 

 

拝啓

朝起きて、やっぱり一番初めに感じたのは、ついにこの日を迎えてしまった、という気持ちやったように思う

2022年4月10日日曜日、わたしが9年間続けてきたFiSHBORNというバンドが解散した

 

その時から約1週間が過ぎて、少し冷静に思い返せるような気がするので、その日についてと、終わりについて、文章を書いてみようと思う

 

 

 

 

その日は本当に珍しく、どんなに重要な予定の前でもしっかり眠れるわたしが夜中に3回くらい目が覚めて、そしてもっと珍しいことに、どんなに重要な予定の前でもギリギリまで寝て急いで家を飛び出すわたしが、家を出る4時間くらい前にはしっかり起きて準備を始めた

 

朝ご飯を食べて、洗い物をして、衣装のTシャツにアイロンをかけて、会場BGMを選んで、入場特典のポストカードに一枚ずつサインを書いて、家から持っていく物販をまとめて、最後のライブのセットリストを見ながらどんなことを話すか想像して、少しだけギターを弾いて、化粧をして、家を出た

 

 

14時頃に2ndLINEに入りして、先に着いていたメンバーの2人がいて、まだ配信の準備や会場のセッティングをしていただいてる途中のいつものスタッフのみなさんの顔を見て、今日の流れや他愛もない話をして、リハをして、いつも通りのようでどこか張り詰めてるような感じ、卒業式の日の朝礼前のあの心持ちで過ごした

 

どんな日になるかな、緊張するかな、するやろうなあと思いながら行ったけれど、蓋を開けてみれば当日は緊張する間もないほど忙しくて、予想はしていたけれどそれ以上に、本当に、あっという間にライブも一日も終わった

なにせラストライブである前にはじめてのワンマンライブ、何十本何百本とライブはやってきたけれど、自分達もいまいち当日のタイム感にも心の準備の仕方にも慣れていなくて、なにか落ち着いて作りあげるというよりも、自分達のそのままの身体でステージに飛び出した感覚

でもきっと私たちのFiSHBORNというバンドの終着点、最後のライブに臨む瞬間の心持ちとしては、その感覚が一番相応しかったように思う

 

 

ライブでできる全17曲、アンコールを含めると全部で19曲、私たちがライブでできる曲のすべて、すなわちわたしたちの今と今までのすべてを詰め込んだ約1時間30分

とにかく、自ら自分達の歴史を終わらせることを決めた私たちが、このバンドを、今日自分達の手で完成させる、この場所に自分達が生きて感じてきたすべてを置いていくということだけをたぶん頭では考えていて、その上で心はどこまでも穏やかなようで、燃えているようで、でもなによりもこの場所でこの3人で音楽を鳴らせる幸せでいっぱいやった

 

 

その日のライブの良し悪しってなんとなく自分でわかる、というか決められるもので、でもこの日に関してはわたし自身、ライブ後に袖に戻ってすぐにめっちゃ良いライブやった!とは思わなくて、ああ、今日ここにわたしたちがFiSHBORNと名乗って生きてきた時間のすべてがあったな、とだけ思った

いま思うと、演奏や言葉やサウンドや、いろいろな要素を含んだうえで所謂良いライブというものがあるとは思うけど、ただそこにいるわたしたちのそのままの音と言葉を以って、そういう尺度を自分の中で超越する瞬間を経験したというのは、わたしたちがこれまでに求め続けていたことへの答えをひとつもらえたような気がした

その上で、人生で一番良いライブやったと思えています 幸せなことや

 

 

 

最後の日を含む5本のラストツアー

「WE HAVE EVERYTHING and WE BE ANYTHING」

このタイトルはラストシングルの最後の一曲『おとなになったら』という曲の最後のフレーズから来ていて、このフレーズ、ひいてはこの曲は、わたしたちが音楽を鳴らしてきた中で見つけた、これもひとつの答えやと思っています

というより、わたしがこの歌詞と曲を書いたとき、3人でアレンジをして完成させたとき、レコーディングをしたとき、この言葉は自分の中ではまだ祈りでしかなくて、でもこのツアーの5日間を経験して、これがわたしたちにとっての紛れもない事実になり、約束になり、答えに変わったと感じてる

 

ずっと漠然と、このままではいけない、もっともっとなにか手に入れないといけないと思い続けていたし、もちろんそれはわたしたちの大きな原動力のうちのひとつでもあったけれど、

でも振り返ってみると、わたしが音楽というものに出会って、命まで救われたと本気で思ったような瞬間を超えて続けてきたこの営みが、ずっと変わらず自分の手の中にあって、わたしが愛やと感じるものがそこで数え切れないほどたくさん生まれてきたこと、それだけで、生き抜くために本当に大切なものはずっと持っていたことを確信した

 

こうしてバンドをやってきて出会う人の中にはたまにこの人にはマジで音楽しかないんや、って人種がいるもので、

わたしには音楽以外に愛するものも、音楽以外のことに捉われる時間もたくさんあって、だからわたしはそういう風に見える彼らにある種の憧れと劣等感を抱いてたような部分もあったけど、なんかそうじゃないよな

わたしは、音を鳴らす人生を選んだこと、だから本当に大切なものをたくさん持って生きて来られたと、いま素直に言えることを心から誇りに思っています

 

 

最後の日にもそういうことを話したように思うけど、バンドを続けて出会った中で心から感謝している人がたくさんいて、それ自体が自分にとっては幸せなことです これだけ出会ってきたんやなと

わたしたちの音楽を愛してくれたすべての人たち、友達、音楽をやっている仲間、ずっと心の一番近くにいてくれた高槻の人たち、わたしたちのレーベルLukie Wavesのみなさん、2ndLINEのみなさん、などなど、伝えきれないです 自分達がこの選択をしたことで伝えきれないことがあるのが悔しいのも正直なところ

本当にすみません。でもそれよりも、本当にありがとうございます。

 

 

 

そしてなによりも誰よりも、ここまで一緒にやってきたメンバーには本当に感謝してる

9年間、前のバンドを含めたら12年間、お互いがはじめて楽器を持った瞬間から一度も離れることなく、わたしの隣でベースを弾き続けてくれたさっちゃん、いつも心配ばっかりかけてごめんね、さっちゃんがいてくれることがわたしを強くしてくれたし、優しくしてくれた わたしの音楽を誰よりも愛してくれてありがとう

 

バンドの芯を誰よりも守ってくれて、誰よりもバンドのために力を尽くして、信じて、ドラムを叩いてくれたかほすけ、彼女がいなければ今のFiSHBORNは絶対になかったしわたしもいなかった!素直なところも頑固なところも、信じた道を絶対に見失わないところも、わたしにはずっと眩しかった、かほすけの信じたものの中にこのバンドがあることが誇らしいよ、ありがとう

 

 

 

 

 

 

ひとまず4月10日にわたしの、わたしたちの人生の中心を占めていたものの幕引きを経験して、すっかり心に穴が開いた気分、となるかと思いきや、相変わらず毎日のスケジュールを必死でやり過ごしています まあそうなるように予定をたくさん入れたというのもある

これだけ当たり前にあったものが暮らしから抜け落ちていること、1週間そこらでは感じられないものがあるのやと思います こうして文章を書くまでも日が空いてしまった

ただやっぱり、ライブハウスに行ってライブを見たり、いろんなバンドの良いお知らせや良い音楽を聴くときに、その刺激を還元する場所がないこと、変わっていくであろうことに少しだけ心がざらっとする感じ 

その度にそれを受け止めて、わたしは自分の人生を自分で決めるという小さい決意

そういうものに気づき始めてる

 

わたしたち、が減って、わたし、を使うことが増えていくことも、どれだけ寂しくなる瞬間がくるかはわからないけど、

でもわたしがわたしであるために音を鳴らしてきた時間は、わたしのこれからをも守ってくれる気がしています

 

 

 

 

FiSHBORNの前田小春として生きてきた9年間は、わたしのすべてであり、人生の宝物のような時間です

わたし、前田小春という人間が作りあげられた期間の、15の頃から今までをそうして過ごしてきたわけやから、きっと死ぬまで、自分史の中でもひとつの特別な部分

どんなお別れの後でもまだまだ平気で続いていく毎日、これからのこと、というのは音楽のことも人生のことも、まだなんにも決まってないけれど、これからなにを選んで、どんな時間を過ごすことになったとしても、こうして過ごしてきた9年間を抱きしめて生きていくのだと思います なによりそれが形になって残ってる!うれしいなあ

 

 

FiSHBORNと出会って、愛してくれた全ての人へ、本当にありがとうございました。

最後に願うことがあるとすれば、これからもわたしたちの作ってきた音楽がどこかの誰かの生活の中にあればいいなと思います。

いつかどこかで会えることを楽しみに、わたしなりにしっかり生きてみます。そのときまで元気で、幸せでいます!ではまた。

 

 

前田小春

 

 

 

2022.3.17 高速道路にて

 

ラストツアー2日目の東京編、渋谷CRAWL公演の帰り道でこれを書き始めてる

 


意気揚々と助手席に座ったのにほぼ気絶で眠ってしまってて、5時半頃に目が覚めて一度草津でトイレに降りてから、この瞬間に寝てしまうのがもったいない気がしてしばらく起きてた


目の前に道路がずっとまっすぐ続いてて、横を見れば街があって、遠くの山が青白いもやの向こうに見えて、空気がどこまでもピンとしてる感じ

それくらいの時間の車内ではいろんな曲が控えめの音量で流れてて、ごうごう風を切っていく音と車が行き交う音の隙間で、耳を澄ましてそれを聴くのがずっと好きやった

 

 

 

馴染みのある地名が増えてきた標識が流れていくのを見ながら昨日のいろんなシーンを反芻して、それがそのままわたしの体の形になって、車に乗っていつもの街に向かってるような感覚になる、


ジャンキー58%の3人が、曲中でFiSHBORNが好きだー!!!!って何回も叫んでくれたこと

HollowBugのりくの、あの場にいた全員が幸せやったよって言葉、ちゃんと引き継いで歌っていくからという約束

炙りなタウンのゆきなりのFiSHBORNに涙は似合わねえ!って言葉、ライバルとして歌って、誰よりも名前を呼んでくれたこと

ななみさんが、たった1人でも東京まで歌いに来て、先輩として温かく背中を押してくれたこと、彼女の歌がわたしたちの歌になったあの時間

10年前のわたしたちの始まりの瞬間を知っているTHE TOMBOYSが、高校卒業のときの思い出の曲を鳴らして、幸せになれと歌ってくれたこと、

マドカさんが、少なくとも今日でなにか変えられた人がいると思うと言ってくれたこと

夢のためにたった1人きりで上京したわたしたちの親友が、PAとしてわたしたちのライブを一緒に作ってくれたこと

そして、沢山の人にもらった、出会えてよかったという言葉

 


昨日のどこを切り取っても全部全部、宝物のような瞬間ばっかりで、今まで何百本と経験してきた全部のライブと歌ってきた歌を丸ごと抱きしめてくれるようで、昨日のことなにひとつ取りこぼさず全部記録しておいて何回でも巻き戻して再生したい

いつまででも自分だけのお守りにできるような、わたしたちがライブとライブハウスを愛してきた理由のすべてがそのまま形になった、ものすごい経験やった

こんな日を一つのバンドをやる中で体験できたのは幸運やったんじゃないかと思うほど

 

 

 

バンドをやってきた中で覚えていることはたくさんあるけど、やっぱりツアーや遠征、それとその道中は自分が「バンド」という単語を聞いたときにまず初めに浮かぶ光景

今まで幾度となく経験してきたものではあるけど、今日の帰り道のこの気持ちと胸の温度感は、最後やからというのを差し置いても、これからもずっとしぶとくわたしの中に残り続けるものやと思う あの場所あの時間あの空間を実現するために力を貸してくれた全ての人へ、本当に感謝しかありません ありがとうございます

 

 

 

 


わたしたちは車を持ってないから遠征の度にレーベルから車を借りていて、それがわたしたちの機材量では身に余るデカさのハイエースで、乗る度にどんどん愛着が湧いてきた大好きな車 いつかこの車や自分達の機材車をわたしが運転して乗り回せる時のことをいつもぼんやり想像した

 


そんだけツアー回るんやったらはよ免許とりや!といろんな人から言われてきて、

今年になってようやく免許をとって少し練習もしたけど、結局わたしがメンバーや機材を乗せてあのハイエースを走らせることはなかった、

これまで機材車に一緒に我々を乗せて遠征先まで連れて行ってくれたバンドや運転してくれた友達、そしてなにより日本中どこまでも、何日間でもワンマンで運転して連れて行ってくれたレーベルのみなさん、本当に本当にありがとうございます。

 

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「WE HAVE EVERYTHING and WE BE ANYTHING」ツアー、5日間中2日間を終えて、既に自分たちの想像したもの、想像していた以上のものが実現していく体験をしてる、自分たちもここに来てまだまだ更新されていっているのを感じる 自分でも自分たちの可能性に驚くくらい


理由や過程、理屈を抜きに、素直に、いまの最新がわたしたちの最高で、一番の幸せと言い切れると思う ありがたいことや

 

 

 

ラストツアーも残り3本、まだまだ大好きな場所に足を運んで、人と会って、見て聴いて歌って残したいものがある

寝屋川、高槻、そして福島2ndLINEと、残すはわたしたちが最も長く深く関わって、人としてバンドとして育ててもらった大切な大切な3ヶ所

 


そこでもらった全てと、わたしたちが今まで見つけてきた全てを持って行きます、

最後の最後の最後まで、何卒よろしくお願い致します。

 

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WE HAVE EVERYTHING and WE BE ANYTHING

 

わたしたちのバンドにまつわるあらゆることに「最後の」の枕詞がつくようになり、こんなご時世の中ありがたいことにその最後たちもつつがなく幕を閉じ、いよいよわたしたちの最後のツアーが始まる

 

ツアーといっても範囲はあまり広くなく、最終日を含む近畿圏での4本と東京での1本、計5日間のわたしたちの集大成

 

 

その終わりの始まりがもうあと数日に迫ってきて、かといってわたしの生活がなにか劇的に変化するわけも当然なく、びっくりするほど相変わらずの毎日を過ごしてる (追記: これは少し前に書きました 本当はもう明日!)

 

とはいえひとつ言えることがあるとすれば、日一日と、ツアーの初日3月11日が近づくにつれて、やっと少し、ほんの少しだけ、自分たちの決めたことではあるけれど、ほんまに終わるんや、という事実が体感として感じられるようになった気がする 

 

それはライブ中にステージから見える顔、ライブハウスで会えた人にいただく言葉、それになんとなく沈んでいるとも浮き足立ってるとも言えないような毎日の感じ、そういうものが寄り集まって初めてわかるような、そういう感覚 

誰かと終わりについて話す時、いやー言うても実感ないんすけどねえ、と何回か言った覚えがあるけど、いまならそうは言わんかもと思う

 

 

 

 

その日になればわかることではあるけど、ある種当然のことながら、最近はツアーの5日間のことをよく思っています

なにを思うやろう、どんな顔見えるかな、なに話すんやろう…などなど

 

ツアーを一緒に作ってもらうのは、長い間追いかけ続けてきた大先輩から、良いときも悪いときもずっと一緒にいた同年代の友達、それに高校生のときさえ知っている後輩のバンドまで様々

日本の各地からわたしたちの呼びかけでイベントに出演してくれます 本当に大好きで、支えられて、時にはその音楽やライブ、存在に生かしてもらったとさえ思ったことのある人たちばかり

 

そうなれば結局のところ思うことはひとつで、彼らが集まってくれること、その音楽を浴びられること、それを共有できる空間があり、人がいること、それがただただうれしいです 

 

 

 

 

 

さっき3月11日に向けた最後のリハでスタジオに入って、これまでのことを少しと、これからの5日間について3人で話したあと、なによりも大切な曲たちを鳴らして、明日のことを昨日までよりもっとリアルに想像しながら帰路についた きっと2人もそうやと思います

今日やっと、わたしたちの中でこの5日間を迎える本当の覚悟を持ったように思う

 

わたしがわたしの中で、わたしたちがわたしたちの中で抱えているものは、自分たちにしかわからないことが絶対にあって、でもそれがわたしたちだけの音を作って、歌になっているのを、いま肌で感じてる

 

 

明日を迎えるまでに文字にして書いておかないといけないことがある気がしてたけれど、今日3人で音を鳴らしてみて、もう大丈夫やなという気がしました

やっぱりメンバーの2人がいてくれてよかったし、この3人でよかったと素直に思う

 

 

歌詞にも、曲にも、演奏にも、MCにも、ライブにも、なにもかもに、今までと、今のわたしたちのすべてが詰まった5日間になる

思い出作りなんかじゃなく、最後のときまで加速し続けて燃え尽きるような、自分たちの全部をかけたツアーにしたい

どうか見届けて、触れて、その中で感じてもらえるものがあればそれはすごく嬉しいことやと思います

 

 

大切な場所や人にたくさん会える

いままでどれだけの人がわたしたちを信じてくれたんやろうと思います レーベルのみんなやライブハウスの人たち、友達やバンドの仲間、ライブに何度も足を運んでくれた人、浮かぶ顔はたくさん

うまくやれたことばっかりじゃないし心配や迷惑もかけた記憶がたくさんある

いつも本当にすみません、ありがとうございます。

きっとこのツアーでもっともっと沢山のことを感じると思う 楽しみです 

 

 

合言葉は「WE HAVE EVERYTHING and WE BE ANYTHING」、このツアータイトルが自分たちにとって、同じ時間を共有してくれる人たちにとっての揺るぎない真実になるような、そんな歌を歌いたい

 

わたしたちの作る最後の5日間、どうかよろしくお願いします。

 

FiSHBORN

前田小春

 

 

備忘録 2022.1.17と『これからくる痛みについて』

 

昨日、一昨日と、岡山PEPPER LANDと福岡UTEROという2ヶ所のライブハウスで演奏をして、そのまま一晩福岡で過ごして昼ごろから車に乗り続けてさっきやっと大阪に帰ってきた

 

少しコロナが落ち着いた去年の夏以降で、東京や名古屋、広島に単発で行ったりはあったけど、数日間出突っ張りの遠征は去年の3月に自分達のリリースツアーが終わったぶりとかで、かなりひさしぶりのこの感じ

 

夜中に出発して朝まで移動して、移動の車内とネカフェでちょっと寝て、昼ごろに無理やり身体と脳みそを起こして会場入りしてリハして、音出したらちょっと目が覚めて、バタバタしてるうちにあっというまにライブも一日も終わって、また移動…

 

運転しないだけ幾分ましではあるけど、それでも身体は疲れていくのに反比例してどんどん気持ちは研ぎ澄まされて行くようなあの感じ、今回ライブは2日間だけやったけど、あ、そうそうこういうことをずっとわたしたちはやってきたんやと思い出した

 

 

今回は10年来の一番長い先輩、THE TOMBOYSのツアーの全公演に出演という形で6箇所をまわってる

 

わたしの彼女たちに対する並々ならぬ想いはもう散々各所で語り尽くしているのやけれど、こういう形で彼女たちと一緒にひとつのものを作り上げるというのは、わたしがバンドをやりながらずっと心の片隅にあり続けた目標であり、それがいま現実のものになっていっていることが不思議というか、この状況になってやっと自分の辿ってきた道のりをふと振り返ったような気持ちというか、一番近い言葉で言うと、今あるなにもかもの原点に立ち返ったような気がしてる

 

それはたぶんバンドを始めるきっかけになった人たちとはじめてここまで長い時間を一緒に過ごしているからということでもあり、このバンドの終わりの日を知っているからというのももちろん無関係ではないと思う

 

ツイッターにもそんなようなことを書いたけれども、福岡の夜のトムボウイズのライブが、わたしにとって言葉にできないくらいのもので、音楽を鳴らす、それもひとつのバンドという集まりで同じメンバーで音を鳴らすことの尊さを目の当たりにして、いまの自分の中のさまざまがグワングワンと揺さぶられた気がした

 

 

 

 

高速道路をずーっと走っていると、いろんなことを思う

あんなに明るい時間に出発したのに、大阪に近づくにつれてどんどん日が落ちていって、ふと微睡から覚めた17時頃にはびっくりするぐらいデカくて丸い月がずっと助手席の車窓から見えるところに浮かんでて、自分の書いた『月の光を見ている』という曲のことをぼーっと思い出して、今日のわたしにとっての月はトムボウイズでもあり、自分自身が積み重ねてきたものでもあるなあというようなことを考えた

 

それから去年のはじめに回ってた前のツアーで、めちゃくちゃ悔しいライブをした日の帰りの車内の葬式かと思うぐらい最悪すぎる雰囲気がはっきり胸に蘇ってきて改めてグヌヌ…となったり、

車内のスピーカーからスピッツが流れたときには、ロビンソンが似合う状況ランキング1位は、田舎から都会に旅立っていく友達を空港まで友達数人で見送りにいった帰りの車内や…みたいな話したな、とか

 

そういうようないろいろをずっと反芻して、ただわたしは、わたしたち自身の決断だけは決して疑わずにいないといけないということだけ、忘れたらあかんなと思った

 

わたしが選んだことを正解にするのはわたしでしかなくて、そのために、過去は変わらず温くて優しいけど、そこに浸るのじゃなくすべてを推進力に変えられる自分でいないとと、見慣れた大阪の街に入るころに強く思い直した

いつも叱ってくれる人がいてありがたいよ

 

 

助手席に座るとBGM担当という特権が得られるので、どうしてもチャットモンチーのCAT WALKが聴きたくなって流して、後ろのふたりが起きてたか寝てたか聴いてたかわからんけど、これはわたしたちの歌やった

こういう瞬間をわたしは後生大事に抱え持っていくんやという予感がした

 

 

 

 

家に着いたら、数日前にAmazonで頼んでいた電気こうたろうさんの『これからくる痛みについて』という短編漫画集がポストに届いていたので、荷物もそのままに一気に読んだ

 

短編集の最後に収録されている同タイトルの作品中のセリフ、

 

"はなればなれになったらこの日々はうそになるのかな"

"…このくらしが ふたりのくらしが無くなるのがこわいんだ"

 

に対しての答え、

 

"もしもふたりがふたりでいられなくなっても この日々はなくならないよ"

"いつかどこかで思い出したとき…きっとくるしくなるほど素敵な恋だから" 

 

わたしのやってきたことは恋とは違うけれど、なるほどこれが今の自分にとっての答えやなあと、3日ぶりの家の床で急に腑に落ちた

 

 

まだ終わらないこの暮らしの終わりを、悲しまないでいられたら、寂しく思わないでいられたらいいなーと、やはりそのためには何回でも気持ちを抱き直して、歌い直して、一日ずつ越えていくしかないね

残りのライブもいよいよ両手で数えられるほど

いま持っているものをいま歌えること、ここに絶対に意味があるはず 音楽をやっていろんな場所で見つけてきたものが光るはずや

 

ひとまず今晩はギターを弾くこととする

 

デカ丸い月、写真に撮ったら小さいけど

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2021.12.20

2021年12月20日、9年続いたFiSHBORNの解散を発表しました


12歳で始めた前身バンドを入れれば約11年、今が23歳、数だけ見ればめちゃくちゃ長いなあ

自分が何者なのか、どう生きたいのか、と、所謂アイデンティティに悩む時期なんかよりもはるかに前から、このバンドとその音楽はわたしの一部であり、FiSHBORNのボーカルの前田小春はずっとわたしの半分です

当たり前にそこにありすぎて、体感としては本当にあっという間です、中学や高校時代が、大人になって思い返せば一瞬で過ぎた日々であることと同じようなものです

 

 

 

こういった形で終止符を打つということを決めるまでには、もちろんそれはそれは深い葛藤と長い経緯があるのだけれど、あまり事細かに言うつもりはありません

発表で書いたことがすべてであり、もしそれに付け足すとしたら、

わたしは、ほかの誰でもないこの3人で音を鳴らすこと、そして同じ歩幅で未来に向かうことこそが、FiSHBORNというバンドを形作るものであり、このバンドのすべてなのだと思います

だから、3人でたくさんの時間と経験を共にするなかで、自分の人生や音楽に対してそれぞれが違う新しい理想を手に入れたことに気がついたときに、誰かの脱退や活動休止ではなく、解散という形で、この3人での旅の最終地点を決めることにしました

 

 

わたしにとってのFiSHBORNと、このバンドが走ってきた道のりは、人生の共有だと思っています

わたしが日々生きていて感じたことを歌にして、さっちゃんとかほすけに伝えてバンドの音にし、それをわたしの近くの人はもちろん、名前や住んでいる場所も知らない人がお守りのように持っていてくれる、


FiSHBORNの音楽を信じて、わたしたちがこの場所に立ってみたいと思った想像を現実にするために、頭と体を動かしてくれる人がいる、


中学校の小さなボロボロの部室から、本当に遠くまで来たんだというのが、いつまで経ってもどこか夢のように現実味のないまま、でも、今さらになってやっと事実として少し自分のものになった気がします

 

 

 

悲しませてしまった人や寂しく思ってくれている人、わたしたちが続けないと叶わない約束を大切に持っていてくれた人、本当にすみません こればかりは本当に申し訳なく思っています

自分たちが納得するための選択の裏にはそういう人がいるということ、これはわたしが、わたしたちが自分の音楽やあこがれをただひとりで追いかけてきたわけではない証拠であり、責任であると感じています

バンドとしてこれからわたしたちができることは、やはり結局はここにたどり着くのですが、最後の最後の一瞬まで誠実に自分たちの音楽をやることだと思います

 

 

 

長く続いたものが終わる時というのはどうしても感傷的にならざるを得ないんですが、ただわたしはこのバンドに残された約4ヶ月の期間を思い出作りの時間にするつもりはありません

先にも書いた通り、このバンドは、わたしたち3人の人生の共有です

いままでこの3人ですべてを懸けてより遠くより高い場所を目指して走り続けてきたこと、わたしたちは終わりの場所を決めたけれど、でもそこで生まれた音楽は、そのまま自分たちの生き様です

 

わたしは、強く在るために強い言葉を使うのはずっとこわいままですが、歌にして歌うとそう在れるような気がしています

音を鳴らすことで越えられた夜が何度もあったわたしたちです それだけはいままでも変わらず、それだけはこれからもずっと、音を鳴らす理由です

 


綺麗に感動的に作り上げようとは思いません、ただその気持ちと、自分たちの姿に、素直に向き合える時間になれば良いなと思います

 

 

 

 


そういうわけなので、昔の思い出話や、バンドがその日を迎えた後の自分の未来の話は、2022年4月10日が過ぎるまでとっておきます まだ終わったわけでもないので


やはり感謝が一番大きいのですが、いま手の中と胸の中にあるものはすべてしっかりとっておいて、これからの4ヶ月はもちろん、その先にも持っていきますので、わたしたちと出会い、心を動かしてくれた方に届くよう、しっかり進みます どうか見守り、受け取っていただけるとうれしいです

これからも宜しくお願いしますというのはそういう意味です

 

 

どうかこれからも宜しくお願い致します

いつも本当にありがとうございます。

 


前田小春